「辞めたら、また採ればいい」。慢性的な人手不足の現場では、新人の入れ替わりを“仕方ないコスト”として処理している経営者・店長は少なくありません。求人を出す。面接する。数日教える。辞める。また求人を出す——。この回転を、コンビニで補充品を買うような感覚で繰り返してしまう。
しかし、ここで一度立ち止まって電卓を叩いてほしいのです。「採り直す」のは、本当に「定着させる」より安いのか。教育に時間を割く余裕がない、というのが多くの店の本音でしょう。けれど、教育を惜しんで採り直しを繰り返す選択は、感情ではなく数字の上で、すでに最も高くつく選択肢になっている可能性が高い。
この記事は、新人教育を「優しさ」や「気合い」の問題としてではなく、純粋な投資対効果(ROI)の問題として捉え直すための、経営者・店長向けの試算です。
採用コストは「求人広告費」だけではない
まず、離職と再採用のコストを正しく見積もります。多くの経営者が「求人広告に何万円か」だけを離職コストだと考えていますが、それは氷山の一角です。
新人が1人辞めて、また1人採るとき、実際に発生するコストはこれだけあります。
- 求人広告の再出稿費
- 面接にかかる店長・社員の人件費と時間
- 採用後の教育にかかる人件費(教える側・教わる側の両方)
- 既存スタッフへの負担増加(人手が足りない間のしわ寄せ)
- シフトの穴埋め、ヘルプ要請、場合によっては時給アップでの緊急募集
- 戦力にならないまま辞めた期間の人件費(投資の取りこぼし)
これらを合算すると、新人1人を採用から定着まで漕ぎ着けるコストは、おおむね16万円規模になります(時給1,000円×80時間の教育に、求人・面接コスト等を加えた概算)。問題は、この16万円が「定着して回収できる」のか「辞められて消える」のかで、意味がまるで違うという点です。
「採り直し」の総額——3回失うと約126万円
ここで、教育を惜しんで採り直しを繰り返すシナリオを試算します。
採用して離脱、また採用して離脱、また採用——という3回転を回すと、上のコストが繰り返し発生します。求人の再出稿も、面接の時間も、教育の人件費も、既存スタッフへの負担も、すべてが3回分。書籍の試算では、この「3回失うコスト」は約126万円に膨らみます。
一方、最初の1人を80時間かけてきちんと定着させるコストは約16万円。つまり——
1人を80時間で定着させる方が、3回失うより約8倍経済的だ。 『店長の教える技術』序章
この「約8倍」という数字が、教育投資ROIの核心です。教育にかける80時間・16万円は支出に見えますが、それを惜しんだ結果として発生する126万円は、何の資産も残さずに消える純損失です。「教育する余裕がない」のではなく、教育しないことの方が、はるかに高い請求書を後で受け取る——これが数字の語る現実です。
具体的に自店で計算してみると、輪郭がはっきりします。仮に過去1年で5人の新人が辞めたとして、1人あたり16万円なら80万円。その5人の代わりにまた5人採り、うち3人がまた辞めれば、さらに48万円。合計128万円が、1年で蒸発した計算になります。同じ5人を最初から定着させていれば80万円で済み、2回目の採用コスト48万円は丸ごと発生しなかった。
「業界が悪い」のではない——教育システムが定着を分ける
定着率そのものが「業界のせい」では決まらないことを、データが示しています。外食産業の3年離職率は高卒で60.6%、大卒で49.7%と全産業ワースト水準ですが、同じ飲食業界の中に、80時間研修を持つ世界的カフェチェーンのように離職率4.8%——業界平均の約5分の1——を実現している企業が共存しています。
「業界が悪い」のではない。「教育システムがあるか、ないか」の差である。 『店長の教える技術』序章
差を生んでいるのは業態でも立地でもなく、新人を定着させる「仕組み」の有無です。仕組みがある店は離職コストを構造的に削減し、ない店は採り直しの請求書を払い続ける。この差が、利益率に直結します。
教育は「コスト」ではなく「最も合理的な損失削減策」
ここまでの試算をまとめると、結論はひとつに収束します。新人教育は、経営者が削るべき「コスト」ではなく、最優先で守るべき「損失削減策」だということです。
経営判断として整理するなら、押さえるべきは3点です。第一に、離職コストは求人広告費の何倍もある“隠れた総額”で見積もること。第二に、その総額は採り直しの回数だけ倍々で膨らむこと。第三に、教育投資は支出ではなく、その純損失を回避するための保険として機能すること。80時間・16万円の教育は、126万円の損失を防ぐ。投資対効果として、これほど分かりやすいものはそうありません。
「80時間もかけられない」という感覚は、経営者として正直なものです。けれど数字を直視すれば、かけないことの方がはるかに高くつく。新人を辞めさせて採り直す回転を止め、定着の仕組みに資源を振り向けることは、温情ではなく合理的な経営判断です。