人手が限られる地方の店にとって、一人が複数の役割をこなせる「多能工化」は、強力な打ち手です。ホールも厨房もこなせる人が増えれば、急な欠員にも対応でき、シフトの自由度も上がります。誰かが抜けても回る店をつくるうえでも、多能工化は欠かせません。
ところが、この多能工化を進めるときに見落とされがちな落とし穴があります。それは、「採用のときに、その人とどんな仕事を約束していたか」という点です。ここを軽く考えたまま配置を変えると、本人との間で思わぬトラブルになります。この記事では、多能工化や配置転換を進める前に押さえておくべき「仕事の範囲の約束」について、一般論として解説します。
「採用時の約束」が後で効いてくる
人を雇うとき、店と働き手の間では、明示的にであれ暗黙にであれ、「どんな仕事をしてもらうか」という約束が交わされています。
このとき、「ホール担当として」「調理スタッフとして」というように、特定の仕事を前提に採用していた場合、その範囲を超えた配置を一方的に命じることが、約束違反と受け取られることがあります。本人からすれば「その仕事をする約束で入ったのに、話が違う」となるわけです。逆に、最初から「いろいろな業務をお願いする可能性がある」という前提で採用し、本人もそれを了解していれば、配置の変更はずっとスムーズです。多能工化のしやすさは、実は採用の段階で決まっている部分が大きいのです。
落とし穴1:暗黙の了解のまま広げてしまう
最もよくある落とし穴が、何の確認もないまま、なし崩しに仕事の範囲を広げてしまうケースです。
人手が足りないからと、ホール担当だった人に厨房を手伝わせ、それが常態化していく。本人が善意で応じているうちはよいのですが、不満がたまったり、待遇への不公平感が生じたりしたとき、「そもそもこんな仕事をする約束ではなかった」という形で問題が噴き出します。善意に甘えて範囲を広げることは、信頼関係の上に成り立っているだけで、足元はもろいのです。
落とし穴2:本人の納得を置き去りにする
もうひとつの落とし穴は、配置を変える「理由」と「メリット」を本人に伝えないまま進めることです。
多能工化は、本人にとっても、できることが増えてキャリアの幅が広がるという利点があります。にもかかわらず、「人が足りないから」という店側の都合だけで命じられると、本人は「便利に使われている」としか感じません。同じ配置転換でも、本人がその意味を納得しているかどうかで、受け止め方はまるで違います。納得を置き去りにした多能工化は、たとえ表向き回っていても、不満と離職の種を育てます。
落とし穴を避ける3つの実務
これらの落とし穴は、次の3つを意識することで避けられます。
第一に、採用の段階で「仕事の範囲」を明確にしておくこと。これから多能工化を進めたいなら、新しく採る人には最初から「複数の業務をお願いする可能性がある」ことを伝え、本人の了解を得ておきます。入口で握っておけば、後の配置はずっとやりやすくなります。
第二に、いま働いている人の範囲を広げるときは、一方的に命じず、本人と話すこと。なぜ広げたいのか、本人にどんなメリットがあるのかを伝え、納得を得たうえで進めます。必要に応じて、待遇面での手当など、新たに担う役割に見合う処遇も検討します。
第三に、約束した内容を記録に残すこと。口約束のままにせず、どんな仕事をお願いするのかを書面で明確にしておけば、後で「言った・言わない」になりません。これは本人を縛るためではなく、お互いを守るためのものです。
多能工化は「合意の上に」築く
多能工化そのものは、人手不足の店にとって正しい方向です。問題は、それを「店の都合だけで」「本人の合意なしに」進めてしまうことにあります。
仕事の範囲という約束を尊重し、本人の納得を得ながら広げていけば、多能工化は店の柔軟性を高め、働く人の成長にもつながります。逆に、約束を見落としたまま強引に進めれば、せっかくの打ち手が、トラブルと不信の原因に変わってしまいます。多能工化を考えるなら、まず「いま働いている人と、どんな仕事を約束していたか」を確認することから始めてください。土台を確かめてから積み上げることが、揉めない多能工化の最短ルートです。